Home > 萩原区について
概要
萩原区は静岡県御殿場市のほぼ中央に位置し、地区内に御殿場市役所、御殿場地域振興センター、御殿場市林業会館、御殿場市民会館、御殿場市立図書館、御殿場中央公園、アメダス御殿場観測所、御殿場市商工会館、御殿場小学校、御殿場中学校、富士防衛事務所があります。また、国道138号と国道246号が交差する、交通の要衝でもあります。
人口が令和4年2月現在 3,614人、1,681世帯数です。
萩原区防災マップ
人口が令和4年2月現在 3,614人、1,681世帯数です。
萩原区防災マップ
地域づくり活動推進委員会
目的と活動
萩原区では、公民館やコミセンを拠点とし、区民の皆さんの心のふれあいや相互の思いやりと生きがいに満ちた地域を築くため、地域づくり活動を推進しています。
次の3部で活動しています。
1.広報研修部
◎「はぎわらだより」発刊 6・8・10・1・3・4月号の年6回
◎納涼盆踊り・ふれあい祭り等行事のポスター制作
◎芙蓉教室開催 6・9・12月
◎ホームページ作成更新
2.事業部
◎納涼盆踊り大会の企画、実施
◎ふれあい祭り(文化祭)の企画、実施
3.緑化部(萩原花の会)
◎公民館、コミセン、スポーツ広場の草取り等美化活動
◎花壇の手入れ、苗植え、除草、散水
活動推進委員は次の方々です。
①区三役②協議員③組長④氏子総代会長、副会長⑤地蔵尊世話人会長⑥体育振興会本部長、副本部長、会計⑦婦人会支部長、副支部長、理事⑧防災部長⑨八千代会会長、副会長⑩部農会長⑪御小PTA支部長⑫御中PTA支部長⑬共栄会⑭祭りばやし保存会代表⑮きらく会代表
萩原区では、公民館やコミセンを拠点とし、区民の皆さんの心のふれあいや相互の思いやりと生きがいに満ちた地域を築くため、地域づくり活動を推進しています。
次の3部で活動しています。
1.広報研修部
◎「はぎわらだより」発刊 6・8・10・1・3・4月号の年6回
◎納涼盆踊り・ふれあい祭り等行事のポスター制作
◎芙蓉教室開催 6・9・12月
◎ホームページ作成更新
2.事業部
◎納涼盆踊り大会の企画、実施
◎ふれあい祭り(文化祭)の企画、実施
3.緑化部(萩原花の会)
◎公民館、コミセン、スポーツ広場の草取り等美化活動
◎花壇の手入れ、苗植え、除草、散水
活動推進委員は次の方々です。
①区三役②協議員③組長④氏子総代会長、副会長⑤地蔵尊世話人会長⑥体育振興会本部長、副本部長、会計⑦婦人会支部長、副支部長、理事⑧防災部長⑨八千代会会長、副会長⑩部農会長⑪御小PTA支部長⑫御中PTA支部長⑬共栄会⑭祭りばやし保存会代表⑮きらく会代表
文化財保存
萩原区には多くの文化財があります。
その保全と伝承の為、萩原区文化財保存会があります。
1.萩原神社
江戸時代に村内にあった浅間神社、子神社、神明社、愛宕神社、榎神社などを明治時代に合祀し萩原神社と改称しました。年8回の催事を開催し、秋の例祭は盛大にとり行われています。また境内には天明の御厨一揆を先導し、小田原藩より処罰された4名の遺徳を偲び四相権現として祀られています。
2.地蔵館(萩原コミセン)
明治時代に廃寺となった万法寺と十王堂を移し地蔵館として今に至っています。四月の花祭りと八月の奉納子供相撲は賑やかに行われています。仏像は地区文化祭などで披露されています。
3.道祖神(区内7か所)
道を守る神様、または子供の神様と言われています。男女の姿で表されることが多く子孫繁栄や、子どもを見守る神様といわれ、また集落の道端に置かれることから道路守護の神とも、集落に悪いものが入ってこないようににらみをきかせる『塞の神』ともいわれています。
4.集慣舎跡
集慣舎は、明治7(1874)年深沢の明蒙館と並び御厨地方でも初期に開校した小学校です。万法寺に開校し、のちに寺の資材を利用して校舎を新築しました。萩原をはじめ、新橋、二枚橋、茱萸沢の子どもたちが通いました。当時の小学校は、国の指導による半ば強制の寄付で経費を賄い、資金が用意できない家は土地などを担保に借金をして寄付金を用意しました。
5.万法寺跡
明治時代に廃寺になった後も小学校として使用され、明治8(1875)年、集慣舎の建物として大原に移されました。本尊は地蔵菩薩立像で運慶の作と伝わります。御厨八十八カ所巡礼の63番札所、御厨観音横道巡礼の23番札所、御厨地蔵横道巡礼の16番札所として知られています。
御詠歌は「身の中の 悪しき悲法をうちすてて みな吉祥を望み祈れよ」です。
6.十王堂跡
万法寺と同じく、明治時代に廃寺となりましたが、万法寺と合併し地蔵館として今に至っています。本尊は地蔵菩薩十王で、御厨地蔵横道巡礼の15番札所として知られています。
御詠歌は「村の名も 常盤の秋の萩原と 小原に立は地蔵尊哉」です。
7.愛宕神社
安永8(1779)年、京都の愛宕神社から分社されたと伝わります。以来、護国鎮火・火の神として鎮座し村の繁栄を見守っています。祭りは年1回で子供神輿を繰り出して和やかに行われています。
8.京塚
平安時代、末法思想の広がりから56億7千万年後にあらわれ、お釈迦様の次にブッダになることを約束された弥勒菩薩の世に経典を伝えるため、または極楽往生の祈願、追善供養のために塚を作り、お経を記して埋めたものを『経塚』といいます。京塚原では、金の経本が掘り出されたことから、その地名が付いたといわれています。詳細は碑文をご覧ください。
9.子の神社
古くは萩原村の氏神でした。明治時代、萩原神社に合祀されましたが、疫病が流行ったため元の場所に分祀され、現在に至っています。なお、萩原神社に合祀された後に残されていた社叢は昭和22年(1947)新制御殿場中学校用地となりました。
協力:御殿場市教育委員会
社会教育課 文化スタッフ様
参考資料
御殿場市史 5,8,9
文化財のしおり2「御殿場の道祖神」
15「御殿場の供養塔と道標」
3「御殿場の石仏」
『みくりや風土記』
『地方人夷屋藤吉』
文化庁ホームページ
ほか
その保全と伝承の為、萩原区文化財保存会があります。
1.萩原神社
江戸時代に村内にあった浅間神社、子神社、神明社、愛宕神社、榎神社などを明治時代に合祀し萩原神社と改称しました。年8回の催事を開催し、秋の例祭は盛大にとり行われています。また境内には天明の御厨一揆を先導し、小田原藩より処罰された4名の遺徳を偲び四相権現として祀られています。
2.地蔵館(萩原コミセン)
明治時代に廃寺となった万法寺と十王堂を移し地蔵館として今に至っています。四月の花祭りと八月の奉納子供相撲は賑やかに行われています。仏像は地区文化祭などで披露されています。
3.道祖神(区内7か所)
道を守る神様、または子供の神様と言われています。男女の姿で表されることが多く子孫繁栄や、子どもを見守る神様といわれ、また集落の道端に置かれることから道路守護の神とも、集落に悪いものが入ってこないようににらみをきかせる『塞の神』ともいわれています。
4.集慣舎跡
集慣舎は、明治7(1874)年深沢の明蒙館と並び御厨地方でも初期に開校した小学校です。万法寺に開校し、のちに寺の資材を利用して校舎を新築しました。萩原をはじめ、新橋、二枚橋、茱萸沢の子どもたちが通いました。当時の小学校は、国の指導による半ば強制の寄付で経費を賄い、資金が用意できない家は土地などを担保に借金をして寄付金を用意しました。
5.万法寺跡
明治時代に廃寺になった後も小学校として使用され、明治8(1875)年、集慣舎の建物として大原に移されました。本尊は地蔵菩薩立像で運慶の作と伝わります。御厨八十八カ所巡礼の63番札所、御厨観音横道巡礼の23番札所、御厨地蔵横道巡礼の16番札所として知られています。
御詠歌は「身の中の 悪しき悲法をうちすてて みな吉祥を望み祈れよ」です。
6.十王堂跡
万法寺と同じく、明治時代に廃寺となりましたが、万法寺と合併し地蔵館として今に至っています。本尊は地蔵菩薩十王で、御厨地蔵横道巡礼の15番札所として知られています。
御詠歌は「村の名も 常盤の秋の萩原と 小原に立は地蔵尊哉」です。
7.愛宕神社
安永8(1779)年、京都の愛宕神社から分社されたと伝わります。以来、護国鎮火・火の神として鎮座し村の繁栄を見守っています。祭りは年1回で子供神輿を繰り出して和やかに行われています。
8.京塚
平安時代、末法思想の広がりから56億7千万年後にあらわれ、お釈迦様の次にブッダになることを約束された弥勒菩薩の世に経典を伝えるため、または極楽往生の祈願、追善供養のために塚を作り、お経を記して埋めたものを『経塚』といいます。京塚原では、金の経本が掘り出されたことから、その地名が付いたといわれています。詳細は碑文をご覧ください。
9.子の神社
古くは萩原村の氏神でした。明治時代、萩原神社に合祀されましたが、疫病が流行ったため元の場所に分祀され、現在に至っています。なお、萩原神社に合祀された後に残されていた社叢は昭和22年(1947)新制御殿場中学校用地となりました。
協力:御殿場市教育委員会
社会教育課 文化スタッフ様
参考資料
御殿場市史 5,8,9
文化財のしおり2「御殿場の道祖神」
15「御殿場の供養塔と道標」
3「御殿場の石仏」
『みくりや風土記』
『地方人夷屋藤吉』
文化庁ホームページ
ほか